オバマを正当に評価できない差別の国ニッポン
何の気なくCNNテレビを聞き流していた。CNNニュースは、11月の大統領選挙の行方を報道していた。最近実施した世論調査によると、オバマ候補が、マケイン候補を5%リードしている。以前は3%のリードであったので、その差は拡大していると報道していた。
そのニュースの後、日本の政府高官の談話として、「オバマ候補はマケイン候補に勝てない。それは彼が黒人だからだ。」との報道が飛び込んできた。筆者は耳を疑った。そんなことを誰が言ったのだろうか。調べてみたら、町村官房長官が週刊文春の記者との談話で、こうした発言をしたらしい。その後すぐに否定したようだが、これが日本政府の発言として世界に流されてしまった。
筆者が先月日本にいたときにも、どの候補が大統領になる可能性が高いのか、どの候補が大統領になったほうが日本に有利なのかとの質問を数多く受けた。当時はクリントン候補がまだ候補者として残っていた時代だったので、最初の質問に回答するのは苦労した。だが、オバマ候補が有力な候補者であるとの筆者の説明に、首をかしげる人は少なからずいた。
どの候補が大統領になったほうが日本に有利なのかとの質問については、「伝統的に共和党が政権をとっているほうが日本に有利なことが多い」と回答すると、ほっとするような表情を見せる人がいた。彼らは「クリントン候補、マケイン候補といった白人候補者が有利である」といった回答を期待しているかのようであった。
「マケイン候補になってほしい」ということのもうひとつの意味は、日本に絶大な影響力を及ぼす国の大統領が、「白人以外」ではなんとなく「しっくりしない」という感覚にあるように思う。
日本史を振り返ると、節目で重要な役割を果たしたアメリカ人はすべて白人だった。日本に開国を迫ったのはペリー提督だったし、敗戦後の占領時代に天皇を超える存在として、この国を支配したのはマッカーサー元帥であった。日本の政治史には、アメリカの黒人との接点がまったく無い。こうした事情から「アメリカ合衆国の支配者=白人」という図式が定着してしまったのであろう。
アメリカの人口の白人比率は約7割に達する。そのアメリカが今、白人以外の候補者に国の命運を託すべきかどうかを考えている。選挙戦の当初は人種の観点からオバマ候補をネガティブに見る意見もあったが、今ではすっかり退潮してしまった。むしろ史上初の黒人大統領の誕生を望む声が数多く聞かれるようになった。
もはや人種は争点ではない。候補者の人格、政策、信条、カリスマ性、年齢、経験等から今のアメリカの大統領としてどの候補者が最適かを真剣に検討しているのである。オバマ、マケイン両候補者がテレビに映らない日はない。さまざまな政治評論家が、主要争点に対する両候補者の主張を紹介する。最近では、主張の一貫性、正直さ、パフォーマンスの巧拙、性格的な弱みまで解説している。
大統領選挙までまだ四ヶ月もある。この期間を通じて、有権者はどちらが今の米国に最適な大統領であるのかの判断を固めていく。11月の本選で、オバマ候補が勝つことがあれば、それは選ばれた大統領がたまたま黒人であったに過ぎない。
こうした状況の中で突如として出てきた町村官房長官の発言は、非常に違和感があった。CNNを見ていたアメリカの視聴者は、「日本政府はアメリカの事情をまったく理解していない」のみならず、「日本は人種差別をする国なのか」との印象を持ったのではないだろうか。
米国から見える日本のイメージは、小泉首相の退陣以降、急速に存在感が薄れてしまった。今の日本の首相が誰かを尋ねられて、「Yasuo Fukuda」と答えられる人が何人いるだろうか。小泉首相の時代には、日本を改革する首相として「Junichiro Koizumi」は聞きなれた名前だった。経済大国ニッポンの首相がもっと存在感を持った人物でないと、経済の停滞以上に、国そのものが衰退しているように見られてしまう。
議院内閣制をとる日本では、首相は最大与党の党首が就任する。議院内閣制も民意を反映させるひとつの方法であるが、国民が首相を直接投票して決めるわけではない。安倍首相が自民党内で党首に選ばれ、首相に就任したあとで、国民は安倍首相の「人となり」を身近に知ることになる。国民はこの人が本当に首相として相応しいのかに疑問を持ちながら過ごす。福田首相の場合も同様だ。
米国では順序が逆である。大統領を選出する前に、徹底的に「人物検証」をするのである。それでも判断を間違えることがある。カーター元大統領は、国民が間違って選んでしまった大統領であるという。
日本の政界では、著名な政治家の二世議員が極めて多く、その人たちが優先的に大臣の要職につく傾向があるように思う。ごく普通の人が、一代で立身出世して首相になるのは不可能に近い。これは日本人が「氏」「素性」を重んじるからであろう。安倍首相、福田首相、そして、今回失言をした町村官房長官も、著名な政治家を父に持つ二世議員である。
この点でも米国とは価値観が逆である。アメリカ人は、「貧しく名も無い家庭に生まれ、苦労に苦労を重ねて、立身出世し、一代で大統領になれる国である」ことを誇りにしている。これが「アメリカンドリーム」の本質である。生まれたときの状況と、頂点に達したときの状況の「上昇幅」が大きければ大きいほど、アメリカ人はその人物の「努力」に惜しみない賞賛を送る。
オバマ候補にアメリカ人が熱狂するのは、アメリカンドリームが生まれるかも知れないからである。ケニア人の父と、白人アメリカ人の母の間に生まれ、幼くして父を亡くし、貧しい家庭で幼年時代を過ごし、懸命に努力してコロンビア大学からハーバード大学の法科大学院に進み、卒業後には弁護士として草の根の政治運動に身を投じ、42歳でイリノイ州上院議員になり、46歳で大統領候補に選出される。何という「上昇幅」であろうか。
こうした「上昇幅」を実現させる土壌が、今の日本にあるだろうか。どこを向いても既得権益を持った人々が社会の上層部にどっしりと居座る社会になっているように見える。
人生経験の乏しい二世議員が特急切符で大臣の椅子に座る、自らの失策を認めない公務員が社会生活の隅々で権力を行使する、企業は正規雇用者だけを守り非正規雇用者を無視する。社会のいたるところに差別がある。これに絶望した若者が秋葉原で通り魔になる。あるいはネットで知り合って集団自殺する。
いま日本はダイナミックな社会への変容を求められているのではないだろうか。底辺からでも努力次第で這い上がれる社会、人を形式的に評価するのではなく、その人の持つ実質的価値で評価する社会、努力をする者が報われる社会、既得権益を突き崩せる社会。オバマを生み出した今のアメリカ社会に、日本変容のヒントが数多く存在するように思う。
カリフォルニア州メンロパーク市にて
安藤 茂彌
http://diamond.jp/series/siliconvalley/に掲載(2008年7月14日)
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