ウェブが招く知力の退化
ウェブが進化して数多くの新しいサービスが誕生した。YouTubeのように利用者が自分でビデオ・コンテンツを作り、ウェブに自由に掲載できるようになった。MySpaceのようなソーシャル・ネットワーキングに加入して、多くの見知らぬ人と友達になれるようになった。自分の日々の生活や意見を日記風にウェブ上で発表できるブログも発達した。誰もが自分の意見を発表できるようになった社会。これを「情報の民主化」社会と呼ぶ。
しかし、ウェブ進化の影で多くの従来型ビジネスが危機に瀕している。CDが売れなくなった。ウェブから音楽をダウンロードできるので、レコード屋に足を運ぶ必要がなくなったのだ。米国では業界大手のタワーレコードが倒産した。サンフランシスコ店もスタンフォード大学の近くのパロアルト店も閉店した。本屋も閉店が続いている。アマゾンで本を注文する人が増えているので、わざわざ本屋に足を運ぶ人が減ったのである。
多くの人が新聞を読まなくなった。ウェブでニュースを無料で読める。自宅に新聞の配達をしてもらう世帯が激減してきている。新聞の発行部数が減れば、新聞に広告を出す企業が減る。新聞社の業績が悪化している。ネットで新聞を購読する人が増えているので、ネット広告収入は増えているが、新聞紙の広告収入の減少を補うにはほど遠い。
ニューヨーク・タイムズの例を見てみよう。印刷された新聞の購読者は270万人であるのに対し、オンラインの無料購読者は4000万人である。新聞紙から入る広告料は15−17億ドルであるのに対し、オンラインの広告収入は2億ドルしかない。この結果ニューヨーク・タイムズのような大手の新聞会社でも毎年数百人単位でレイオフを実施するようになった。
最も懸念されるのは編集方針である。購読者の増加を狙うために、社説を減らし娯楽やライフスタイルの記事を増やす方針といわれる。同社の社説は、国際的な観点から状況を緻密に分析し、時の政権に対して「もの申す」社説として、世間の大きな信頼が寄せられてきた。それがいま、経済的な理由から成り立たなくなってきている。
ハリウッドも苦戦している。わざわざ映画館に足を運ぶ人が減り、自宅でDVDを借りて楽しむ人も増えた。レンタルショップに行く人も減った。宅配業者が週代わりで希望するDVDを自宅に配送してくれるサービスが人気を集めている。映画をネットからコンピュータにダウンロードして楽しめるようになった。こうなるとDVDの現物すら要らなくなる。
映画館に行けば20−30ドルかかるが、DVDを買えば10−20ドルかかる。借りれば2−3ドルで済むし、iPodなら1ドル未満でダウンロードできる。更にこの下に「無料」の世界が広がる。不法ダウンロードである。これではハリウッドの収入が増えるわけない。ディズニー、パラマウント、ワーナー・ブラザーズが毎年数百人規模のレイオフを行っている。
分厚い百科事典を購入する人が何人いるだろうか。捨てる人はいても新たに購入する人はいないだろう。グーグルやヤフーでウェブ検索をすれば多くの情報が集まる。ウイキペディアのようなオンライン百科事典を利用すれば、複数のウェブサイトを訪問する必要すらない。必要な情報が一箇所にまとめてあるからだ。情報が新しくて、しかも無料である。著者は匿名の一般人である。その道の権威が責任を持って著作した百科事典ではない。情報の真偽を判定するのは読者である。
ウェブ上には真実の衣を着た虚偽の報道が存在する。2005年にハリケーン・カトリーナがニューオーリンズ市を襲ったとき、個人ジャーナリストが同市の惨状を携帯カメラに収めてウェブに掲載した。避難場所となったスーパードームには膨大な数の死体が運び込まれ、強奪と強姦が横行しているとウェブで報道された。しかし、テレビ局や新聞記者が現地に急行してみると大きな誇張であることが判明した。
2005年にYouTubeに、9/11に関する無名のドキュメンタリー・ビデオが掲載された。「ワールドトレードセンターはテロで崩壊したのではない。センターの所有者が、空きが目立ってきたセンターを一気に崩壊して建て直すために、空いている階に爆弾を仕込み、事故に見せかけて崩壊させたのだ。そうでなければたった二機のジェット機で二棟とも完全崩壊するはずがない。」というストーリーを報道したのである。
2005年5月に掲載されたこの番組は、1000万人以上の視聴者を獲得し、2006年5月にGoogle VideoのTop 100ランキングの第一位になった。
ウェブではこういうことがまかり通ってしまうのである。インターネット上には真実であるか嘘であるかわからない情報が氾濫している。名の通った新聞社の記者は情報の真偽を確かめるために並々ならぬ努力をする。情報の出所を明確にして、客観性のある情報を報道しようとする。いい加減な報道すると新聞者と記者の信憑性が疑われ、場合によっては実刑判決を受ける可能性があるからだ。ところが市民ジャーナリストはこうした制裁を受けない。何を言っても責任を追求されることはない。
インターネット上での情報発信は匿名、偽名で行われることが多い。それが不正行為の原因になりかねない。最近良く使われるマーケッティング手法に「口コミ・マーケッティング」がある。企業が宣伝するよりも、消費者がその製品を使ってみて本当に良かったと言う方が宣伝効果が高いというのである。しかし、その消費者が公正な第三者である保証はどこにもない。企業から金をもらった「やらせ」消費者が登場している。
Googleの検索も、情報の真偽を見分ける機能を持っていない。不正情報も「ごった混ぜ」にして視聴者の人気の高い順に表示する。9/11のドキュメンタリーを例に出すまでもなく、視聴者の注目を引くのは、往々にしてこうした情報である。ニューヨーク・タイムズの内容の濃い記事がトップに出てくることはまずない。
インターネット空間には誰にも読まれないブログが溢れ、真偽不明の報道番組が溢れ、名もないソングライターの「がなりたてる音楽」が吼える。CDショップも本屋もなくなり、「知的な文化を自分流に探す喜び」をウェブに奪われてしまった。みんなインターネット空間に吸い上げられ、我々の生活の中で、自分で手にとって触れるリアルな文化が駆逐されてしまった。
こんなアメリカの状況がいずれ日本にも現れるかと思うとぞっとする。だが、その兆候は既に現れ始めている。日本の大手新聞社でもニューヨーク・タイムズと似た現象が出始めた。紙媒体の広告収入で記者の人件費を賄う構図が崩れ、累積していく赤字を不動産売却の含み益で埋めていく日はそう遠い将来の話ではないと、ある業界関係者は言う。
確かに情報の価格は安くなった。無料で入手できる情報の範囲は広がった。だが、視聴者の一人ひとりが情報の真実を吟味する能力を備えているだろうか。筆者にYouTubeの9/11ドキュメンタリーの存在を知らせてくれたのは、シリコンバレーのベンチャー企業家だった。彼はこれこそ真実だと言い切った。筆者も最初にこの番組を見たときに動揺した。「やはりおかしい」と思うのに数日要した。
「情報の民主化」は何をもたらしたのか。情報の真偽がわからなくなってしまい、知性の低い情報が知性の高い情報を駆逐した。人類が守っていかなければならない高度な文化資産を、低俗な大衆文化が隅に押しやってしまい、多くの知識労働者が職を失った。視聴者が作った低俗なコンテンツを媒介する業者(Google, YouTube, MySpace)だけが億万長者になった。
現代社会を「情報の民主化」社会と呼び、ウェブを礼賛する本がベストセラーになる。だが、ウェブが引き起こした「負の側面」を見落としてはならない。知識産業が消え、低俗文化が栄え、我々の知力を退化させる「恐ろしい」社会に入りつつあるのだ。
カリフォルニア州メンロパーク市にて
安藤 茂彌 (2007年9月18日)
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