シリコンバレーの料理人
シリコンバレーには世界中から様々な国籍の人が集まってくる。だからここには各国料理が揃うことになる。インド、中華、イタリアン、フレンチ、日本料理は言うに及ばず、ギリシャ、スペイン、スイス、トルコ、モロッコ、ロシア、ベトナム、タイ、マレーシア、ビルマ、韓国、メキシコ、ペルシャ、ペルーと数え切れない。
そのうえここの住人には金持ちが多いから料理の質も高くなる。あるレストラン関係者によると、パロアルト周辺で外食産業に落とされる金は一人当たり年間80万円にも上ると言う。これは週に直すと1万5000円になる。全米平均の2.5倍だそうである。
総じて、米国では料理文化が未発達である。バーベキュー、ホットドッグ、ハンバーガーと“焼く料理”ばかりが目に付く。料理は簡単である。食材をスーパーから買ってきて焼くだけである。“煮る”、“炒める”、“独自のソースを作る”と言った手の込んだ料理を家庭で作ることは少ないように思う。他の先進国と比較してアメリカ料理は原始的である。
更に、スーパーに行ってみると調理済みの料理がずらりと並ぶ。電子レンジでチンすればすぐに食べられるものばかりである。アメリカ人女性で料理にマメな人は少ない。だからちょっと難しい料理になると、旦那・子供を引っ張ってレストランに行くのだろう。
先日高級住宅地に住む女性から昼食に招かれた。離婚して一人住まいしている50歳半ばの“離婚富豪”である。広い庭で栽培しているバラが満開になったから観賞に来ないかと言う。確かにバラは数輪咲いていた。体重100キロを超える巨漢の彼女にとって、たった数輪の花でも栽培するのは重労働だったに違いない。
花を愛でながら、庭のテーブルで食事をとった。彼女がご馳走してくれたのは、サラダ、チーズ、クラッカー、それに赤ワインである。「フレッシュで美味しいだろう?」と言う。「その通りだね」と私も相槌を打った。しかし、料理をした痕跡は全くない。熱を通したものも無い。スーパーの紙袋がそこら中に散らばっていた。
もっとどうにかならないのかと思い、「料理はするの?」と尋ねた。「私、料理大嫌い。」と自慢げに返答してきた。子供を産んだことの無い彼女にとってその必要もなかったのだろう。だが、“私は料理をする女ではない”“見損なわないで欲しい”と言っているように聞こえた。
失礼なことを言ってしまったのか。男女平等を掲げるアメリカでは、“女性本来の仕事”と言うような決め付けた発言をすると反発を招くことが多い。しかし、料理がこの範疇に入るとは思わなかった。
弊社の顧問弁護士の自宅に招かれたことがある。彼の奥さんを交えて三人で話をしていた。彼が頻繁に席をはずすので不思議に思って奥さんに尋ねたところ、彼が料理をしていると言う。どうしてこうなったのだと聞くと弁護士は「家内が料理下手なので自然と自分がやるようになってしまったという。」と言う。奥さんも素直に認め、主人の料理上手を絶賛している。
男性の料理の世界への進出は日本と較べて遥かに進んでいるように思う。日本の食材店の店主も「主婦が昼間に材料の買出しを行い、夫が夜帰宅して料理を行なう家庭がビックリするほど多い」と話していた。共働きの家庭ではこうした分業が自然にできるのであろう。そういえば顧問弁護士の家庭も共働きであった。
当地では男性が料理をすることに全く抵抗感がない。むしろ料理の名手は男性に多い。先日、ある友人から夕食に招かれた。3年程前に奥さんに先立たれた一人暮らしの50代の男性である。料理仲間の男性がもう一人来て一緒に料理をするという。彼にはこうした料理仲間が何人もいる。男性が数人集まって、酒を飲み、料理をして、IT談義を心行くまで楽しむ会をやっているという。
当日は先ず、南仏で夏に良く飲むパスティスと呼ばれるアペリティフがでてきた。瓶の中では琥珀色をしているが水を加えると白濁する食前酒である。私にはあまり馴染みが無かったが、アニスの利いた爽やかな飲み物だった。二人の料理人は30年ぐらいシリコンバレーでITに携わってきた人物である。彼らの話はITの歴史そのものであった。
それから食事になった。ダックリング(子鴨)をソテーしたフランス料理を作ることになった。二人の料理人が手際の良い分業であっという間に作り上げた。見事というしかない。ダックリングは私も好きな料理であるが、こんなに美味しいダックリングは今まで口にしたことがなかった。料理の質の高さにほとほと感心した。そこいらのレストランでは太刀打ちできない出来栄えである。
それからまた庭に出て、夏の夜空を見上げながらIT談義に花を咲かせた。今をときめく当地有名人の若き頃の実話も出てきて時間の経つのを忘れた。話は延々と続き彼の家を出たときには午前零時を回っていた。なんと充実した夕食であったろう。
どうしてシリコンバレーの男性は料理が上手なのだろうか。それは、凝り性の男達が集まっているからだと思う。技術にもこだわるが料理にもこだわる。新しい技術を開発するのは試行錯誤の連続であるが、このプロセスは美味しいものを作ろうとする作業に似ている。夢とこだわりがあるから斬新的な技術ができるし、美味しい料理ができるのだろう。
先日昼食に招いてくれた離婚富豪から一通のメールが届いた。ノースカロライナ州の肥満治療施設に入ることにしたとの連絡だった。その施設をウェブで調べてみた。規則的な生活、規則的な運動、規則的な計量。至れり尽せりの生活である。一ヶ月の入居費は百万円を越える。彼女は億万長者である。この程度の出費はどうということはない。
この施設には料理教室もあるようだ。“料理をしないこと”に変なプライドを持つよりは、ここで料理法を学んで、自分の健康を自分の手で取り戻して欲しいと願った。
かく言う私も料理に関して全く偉そうな事を言えない。日本でサラリーマンをやっていた当時、家で台所に立った記憶は全くない。全て家内まかせであった。アメリカに渡って一人暮らしをするようになっても、家では簡単なものしか作らず頻繁に外食をした。体重は増え気味である。
私の友人の日本人起業家が見るに見かねて料理を教えてくれるようになった。拙宅で開いた彼の料理教室に、当地のベンチャー企業に勤めるもう一人の友人が参加した。三人とも元日本のサラリーマンである。彼は私の冷蔵庫にある食材を引っ張り出して、手早く料理を作っていく。本には載っていない料理ばかりだが、これがまた美味しかった。生徒二人は深く反省した。
人間が自ら料理して自分の健康を守ることと、ベンチャー企業があらゆる努力をして会社の存命を図ることには共通点がある。これは、“他人任せにすることを嫌う”文化ではないだろうか。各人が自分に責任を持つことの集積が、今のシリコンバレーを作っているように思う。
いま生徒二人は料理に邁進している。何のために?シリコンバレーで生存していく最低条件を満たすためである。
カリフォルニア州メンロパーク市にて
安藤 茂彌
日経ネット・企業・コラム・海外VBトレンドに掲載(2005年8月1日)
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