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最新レポート
過去を乗り越える政治力

4月に中国と韓国で反日デモが吹き荒れた。80年代に6年間香港に駐在し、中国、韓国を頻繁に訪問した筆者にとっては他人事ではない事件である。80年代にいくつかの反日運動に遭遇した。「反日」記念日には、香港の新聞は一斉に南京大虐殺事件で殺された市民の写真を掲載した。日本兵が陵辱した中国人女性と一緒に撮った記念写真も掲載された。夥しい数の写真である。私は日本人であることを恥ずかしく思うと同時に、身の危険を感じた。

私の母はよくこんな話をした。「日本人は朝鮮と中国で信じられないような残虐な事をしてきた。赤ん坊を抱えている母を見つけると、赤ん坊を母から取り上げ赤ん坊の足を持って空中から勢い良く頭を地面に叩きつけた。その母は発狂した。こんなひどいことを日本人兵士は海外でやってきた。」と。中学生だった私にこの話はショックだった。

母は小学校のPTA副会長をやっていた。母のところに頻繁に話し込みに来るPTAの女性がいた。彼女は自分の戦時中の体験談を話していたようだ。私が帰宅すると母は目を真っ赤にしていた。後年、私は母がなぜこんなに戦時情報に精通しているのか疑問に思った。私の父は戦争に行っていない。その女性が元従軍慰安婦であることを知ったのはずっと後のことだった。母は戦地の生の情報を彼女から得ていた。活字で書かれた歴史には作為があっても、“語られた歴史”には作為の入る余地がない。

教科書問題は何処の国にもある。自国に不利な情報は狭小化するのは世の常である。中国の教科書には文化大革命の記述はほとんどないと言われるし、ましてや天安門事件は記述できないタブーである。だが、文化大革命時代に中国共産党員が一般民衆に対して行った残虐行為は海外でよく知られている。中国から脱出した中国人が英語で書いた書物がベストセラーになったからだ。

加害者は情報を消そうとするのに対し、被害者は情報を保存しようとする。その結果、被害者の記憶は長く持ちこたえる。日本と中国・韓国の歴史認識の相違は、互いの教科書が扱うテーマの比重の差となって現れる。日本の歴史教科書の簡単な記述を補ってきたのが母の話であり、ジャーナリスト本多勝一が書いた一連の文庫本であった。香港で目にした写真集もこうした情報と一致していた。

歴史認識のギャップは人々の交流、情報の内外往来が進むにつれ急速に縮小していくはずである。国営テレビが放送しなくても、インターネットが橋渡しをしていく。天安門事件が起きた89年には、中国内にある外国の事務所は完全に情報統制下に置かれており、電話・ファックスは盗聴され切られた。中国政府は今でもインターネットを検閲しているようだが、当時から比べるとはるかにましである。今では国営テレビが反日デモを報道しなくても、中国の多くの人たちはインターネットでこれを知っている。

情報の自由化と並んで、生活水準の向上も過去を乗り越えるのに威力を発揮する。誰もが今ある生活、今ある幸せを壊すことに抵抗するからだ。日本人兵士が30年代、40年代に行った残忍な行為は、国内で自由を奪われ、生活が貧しかったことの“はけ口”ではなかったろうか。自分の意思に反して人殺しをせざると得ない極限状況に置かれた人間の異常な心理が原因であると思う。

私は昨年12月にかつての特攻隊基地であった鹿児島県の知覧を訪れた。出撃前夜に死への不安に絶えられず枕に顔を伏せて泣きじゃくった若者が多かったと言う。皆が“お国のために”すんなりと死を受け入れたわけではない。出撃をしたものの戦地に赴けず戦列を離れて実家の前の土手に激突して自分の最後を家族に届けた若き特攻隊員もいた。当時日本領であった朝鮮から特攻隊に加わった人もいた。

今の日本人はもはや30年代、40年代の日本人に戻れない。“自由の享受”と“生活水準の向上”が日本人を変えてしまったからである。ヨーロッパの主要国も同様である。欧州連合は自由と繁栄の輪を周辺国に広げることで更に大きな連合を育てようとしている。

東アジアはどうか。経済成長著しい国家が多いにも拘わらず、欧州連合とは比較にならない分裂状況である。本来“自由”と“富”の水準が上れば風化が進むはずである。ところが現実には、中国、韓国、北朝鮮の三国による日本包囲網とでも言える状況が出現している。何故こんなになってしまったのであろうか。“自由”と“富”の水準が、国によって大きく異なるのも一つの原因であろう。だた、それ以上に“政治の貧困”が原因となっているように思う。

責任の一端は小泉首相にある。小泉首相はアメリカに追随していけば、それで済むと考えているかもしれない。だが、靖国神社への参拝は三国の神経を逆なでした。このため、国連の常任理事国入りでしっぺ返しを食らい、竹島、油田開発問題では立ち往生させられている。アメリカ頼みだけでは問題は解決できない。

私の周りには親日派のアメリカ人がたくさんいるが、小泉路線に疑問を持っている人は多い。「小泉首相はあんなにアメリカべったりでよいのか。」この言葉の裏には、「アメリカはアメリカの国益で動く。日本がどんなに困っていようとも、国益に沿わなければ日本を助けることはない。」こうした警告が含まれている。実際に、竹島問題、油田開発問題、北朝鮮の拉致問題などは米国にとっては国益の範囲外の問題である。国連の常任理事国入りもこの範疇に入るかもしれない。

米国の対日路線は時の政権によって微妙に異なる。共和党は日米関係を重視するが、民主党は伝統的に日米関係よりは米中関係を重視する。自衛隊のイラク派遣でブッシュ政権下では親密な関係を続けられるが、これも残すところ3年間。政権が変われば対日外交も変わる。3年後には日本は米国からも難問を持ち掛けられているかもしれない。そうなったら四面楚歌である。

同じく第二次世界大戦の敗戦国であるドイツは東西統一を成し遂げ、欧州連合の主要国として立派に国際的地位を復活させた。そこには歴代のドイツ首脳の並々ならぬ努力のあとが見られる。ドイツの歴代首相は敗戦の記念行事には欠かさず出席して、ナチス時代のドイツの蛮行を詫びるとともに、和解と平和のメッセージを発信してきた。

去年から今年にかけて第二次世界大戦にまつわる式典が欧州各地で開かれている。昨年8月にはポーランドで“ワルシャワ蜂起60周年”、今年1月にはポーランドで“アウシュビッツ強制収容所解放60周年”、4月にはドイツ国内で“ナチス強制収容所解放60周年”があった。シュレーダー首相はこうした式典に必ず招かれて、同様の趣旨の演説を行っている。こうした行事には英国、米国、ロシア、フランス、イスラエルの大統領、首相、副首相も招かれている。

これから東アジアで開催される様々な60周年記念式典はどうなるのだろうか。こうした式典に4カ国の首脳が相互に招請しあい親善外交に生かすことが出来れば、多くの問題が解決できるように思う。だが東アジア各国にはこうした伝統がない。それぞれの式典はそれぞれの国で営まれ、それに呼応して諸外国でデモが発生するのが落ちである。

政治は通商・対外投資のインフラである。現在中国内で働いている日本人ビジネスマンは10万人に上る。一歩間違えば彼らは“テロの標的”になる。日本から中国に直接投資された金額は数千億円には達するであろう。これも一歩間違えば“収用の標的”になる。日本は軍事力を発動できない国である。米国に支援を頼んでも米国は動かない。日本のために対中関係を悪化させるのは国益に反するからだ。だから日本の政治は本来慎重に運営されなければならない運命にあるのだ。

私が香港にいたのは20年以上も前である。あのときの在留邦人数は一万人程度であった。今中国本土にいる在留邦人数はその10倍である。20年経って日中関係は改善するどころか悪化した。小泉首相がインドネシアで歴史認識に関する謝罪表明を発表した日の前日に、自民党の幹部80人が靖国神社を参拝している。とんでもない外交感覚の欠如である。日本包囲網を招いた日本の政治家の責任は果てしなく重い。


カリフォルニア州メンロパーク市にて
安藤 茂彌
日経ネット・企業・コラム・海外VBトレンドに掲載(2005年5月9日)

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