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赤い資本主義の行く末

中国の聯想集団がIBMのPC部門を買収したことが大きな話題をまいた。純粋の中国企業が世界の表舞台に登場したのはこれがはじめてであろう。この買収が中国企業にとって成功例となるのか、それともその逆なのかは現時点では誰にもわからない。だが、これをもって日本の中にくすぶる中国脅威論に火をつけるとすれば、それは間違いだろう。

基本的な疑問がある。何故、中国人の経営する企業が世界的な大企業にならないのだろうか。中国人の経営するする企業はアジアを中心に世界中にあまた存在する。しかし、何故、彼らの経営する企業が世界的な大企業にならないのだろうか。

まず話を中国人のものの考え方から始めよう。彼らのものの考え方は個人主義であり、資本主義的である。アメリカ人にとって中国人はわかりやすい人種であると言う。日本人よりはるかに分かりやすいというのだ。何故か。それは両国民ともに個人主義の国民であるからだ。個人主義であるから、考え方行動様式は生まれながらに資本主義的である。個人の利益を素直に追求し、ほかにチャンスがあるとわかるとスパッと切り替える。

日本人は、自分が所有しているのでもない企業に一心同体的な忠誠心を持ち、トコトン自己犠牲する。大企業に働いている若いエリートたちを見てみよう。いかに自分が偉いのかを説明するうちに、いかに自分の会社が素晴らしいのかを力説することになってしまう。反面、会社が不祥事でも起こすと、とたんに声が小さくなる。自分の価値よりは会社の価値を上位に置いているためである。アメリカ人、中国人はこうした日本人を理解できない。彼らにとっては、いかに個人として業績を上げ、いかに高く給料をもらっているのかが、会社の存在よりも重要なのである。

日本の企業は従業員の途方もない自己犠牲によって、世界的大企業に名を連ねる企業を多く輩出した。社員は自社のブランドを尊び、多少の業績の浮沈を辛抱強く乗り越え、継続的に自社を成長させる努力を傾注した。設備投資の回収期間は他のどの国よりも長い。米国の株主は企業ブランドを大切にするものの、回収期間の長期化には我慢できない。中国人の経営する企業は概してブランドを尊まず、投資を早く回収して現金化しようとする。次の“おいしい話”に投資するためである。

同じ個人主義でも、アメリカ人と中国人とではちょっと違う。アメリカ人の個人主義は、あくまで個人単位の個人主義である。これに対し、中国人の個人主義は家族単位、一族単位の個人主義である。数年前にスタンフォード大学を出た優秀な中国系アメリカ人が上海に職を探しに行ってがっかりして帰ってきた。中国の民間企業がかなり規模が大きくなっても個人企業の域を出ず、上層部はすべて一族で固め、一族以外の人はどんなに優秀な人であっても所詮“使用人”としか見ない。結婚で一族になる以外に最終段階まで上り詰めることはできないという。

この経験談は私の観察と一致する。私は80年代前半に香港に数年駐在したが、そこで大企業と呼ばれている企業は例外なく個人企業であった。たとえ上場しても株式の大半は一族が占有し、経営者はすべて直属の子供達であった。企業の中には優秀な永年勤続者もいたが、“使用人”としての位置づけは生涯変わらなかった。企業は大株主である一族のためにあるのであり、“使用人”のためにあるのではない。

米国には中国系アメリカ人がたくさん居住している。しかし、この米国においても、資本市場から大量に資金調達をして大きく成長した中国人企業は極めて少ない。思いつくところコンピュータ・アソーシエイツ社ぐらいである。この会社も株式は公開したものの、創業者であるCharles Wangが2002年に引退するまで26年の長きにわたって社長・会長として君臨した。会社所有のジェット機で世界各地に出張し、常に奥さん同伴で一流ホテルのスイートルームに陣取る人だったと、同社に勤務した人が語っていた。まさに“秦の始皇帝”であったと。

アメリカのように早くから資本市場が発達し、不特定多数の投資家から巨額の資金を調達して事業を拡大するのが当たり前になっている国と、中国・香港・シンガポールのように資本市場の発達が遅れた国を同一に論じることはできない。しかし、たとえ大量の投資資金にアクセスできるようになったとしても、中国人企業が所有権を見ず知らずの投資家に大量に解放するかどうかは別問題である。一族がやすやすと他人投資家を受け入れるとは考えられない。まして国営企業にとっては政治との絡みもあり更に事情は複雑である。

米国にも日本同様、中国脅威論が存在する。ひとつの論拠は中国の安い賃金と優秀な労働力である。この点は昨年の大統領選挙の争点にもなった。インターネットの発達で、世界中が通信網でひとつになったことから、米国企業のアウトソーシングが進み、本来米国内で雇用を生むべき職種が中国、インドに移ってしまった。米国内ではこの点を中国とインドの脅威と捉えている。

脅威論の論拠はもう一つある。シリコンバレーでよく耳にするのは、中国の理工系大卒の数がアメリカの卒業生を上回っている点である。数学、物理に強い学生が続々と企業人になることで、技術開発力でいずれ米国企業は中国企業に負けるのではないかという懸念である。これはアメリカの痛いところをついている。アメリカでは、初等・中等課程での数学教育の遅れから、理工系を目指す学生が増えないのである。

だが、学生の数だけを比較して論じることは、この点を過大評価しているように思う。中国の人口は米国の5倍、日本の10倍にも達する。人口比で見れば中国はアメリカにも日本にも及ばない。その上、特許件数を見れば、アメリカ、日本、ヨーロッパが上位を独占しており、中国は存在感すらない。技術開発力を左右するのは単に大卒の数だけではない。高度な技術に挑戦する産業が群れなくては国際レベルの技術開発力は出てこない。

資本主義は息の長い競争である。いくつかの条件が揃って、それを持続しなければ競争力を維持できない。米国企業は、最も発達した資本市場、徹底した能力主義で適材を引っ張ってきて、競争環境の変化に柔軟に対応できる資本主義を構築した。日本企業は、血縁関係に関係なく人材を登用し、社内で人を育て、回収期間の長い資本投資をすることで世界に通用するブランド力を構築してきた。資本市場の発達はアメリカほどではないにしても、日本には日本企業の成長をまかなうに十分足りる資本の蓄積がある。

それに対し、中国企業は血縁関係に関係なく人材を登用するところからそもそも躓いている。こんな政策を続けていては“ダイエー”のような企業がぞろぞろ出てくるだけである。その上、国としての資本の蓄積は乏しく、資本市場は歪んだ形で形成されている。長期的な観点から資本を回収する経営姿勢は見られないし、ブランドを育てる意識も希薄である。これでは国際競争力を持続的に高めていくことは難しい。

それなのに何故、日米ともに“中国脅威論”がこれほどに跋扈しているのであろうか。それは両国民の“意識”のなかにある。常に追ってくる敵を意識し、彼らを“他山の石”として自らを省みようとする意識である。この意識を持ちつづける限り両国は将来を過度に杞憂する必要はない。むしろ、これで足りるとする“慢心”が自らの転落を招く最大の落とし穴になる。日米両国はもっと自信を持ってよいのではないだろうか。


カリフォルニア州メンロパーク市にて
安藤 茂彌
日経ネット・企業・コラム・海外VBトレンドに掲載(2005年2月7日)

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