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企業の成長条件と生存条件
最近懐かしい顔をテレビで見た。2001年に倒産したエンロンの会長兼社長のケネス・レイである。同氏の訴追手続がついに始まった。事件発生から2年半も経過している。部下達のうち何人かは既に有罪が確定し刑に服している。検察側は周りを固めて最高経営責任者に詰め寄っている。しかし、ケネス・レイは11に及ぶ罪状の全てに無罪を主張している。
エンロン経営者による大掛かりな粉飾詐欺事件から米国の産業界は厳しい規制下に置かれることになった。2002年に制定された企業改革法(別名:サーベンス・オクスレー法)である。この法律で、外部の公正な第三者による内部監査が義務付けられた。その上更に、会社の最高経営責任者(CEO)と最高財務責任者(CFO)は、公表した決算内容に誤りや虚偽がなく、内部監査手続が公正に行なわれていることの宣誓書をSEC(米国証券取引委員会)に提出することが義務付けられた。
この法律は今年12月に決算期を迎える上場会社から適用される。違反をすれば罰則は重い。最高20年の禁固刑が適用される。これを機に、企業リスクを総点検する機運が米国産業界に盛り上がっている。エンロン事件では隠していた不良資産が表面化した途端に、同社株式はあっという間に紙屑に化した。裏切られた株主は集団訴訟を起こしたが、取り戻せた価値は少ない。6000人に及ぶ従業員が職を失った。彼らが401Kで投資してきた年金もゼロになった。
経営者が犯罪行為に走ったときに、企業はあっという間に生存の危機に直面する。日本でも似たような事件が起きている。三菱自動車である。経営者による組織的なリコール隠しが表面化した途端に窮地に立たされた。
企業が成長を続けていくには売上を継続的に伸ばすことが至上命令である。そして安定的に利益を計上していくことが企業成長の条件である。しかし、企業成長の条件は、企業生存の条件とは違うような気がする。前に向かって進む経営と、足元を見つめる経営の両方が必要である。
企業成長の条件は各企業に共通していて、経営学の教科書を一冊読めば足りる。だが、企業生存の条件は業種によって大きく異なる。
車を製造している会社ならば、"走る凶器"を作らないことである。ソフトウェア企業ならば、"動かないコンピュータ"を作らないことである。食品会社ならば、"毒饅頭"を作らないことである。病院ならば"患者を誤って殺さない"ことである。銀行ならば"不良債権を作らない"ことである。建設会社ならば、"地震でも崩壊しない建物"を作ることである。
なんと当たり前のことではないだろうか。だが、当たり前のことが守れないときに企業は生存の危機に立たされる。
私がまだ銀行員であった頃、当時の頭取がふと語った言葉を思い出す。「銀行は利鞘が多少減ったぐらいで倒産することはない。銀行が倒産するのは、唯一多くの不良債権を抱えたときである」。当時(94-96年)支店長をしていた私は、「その割には収益目標が高いよな」となかば反抗的に聞いていた。ところが、それから1-2年してこの言葉の重みを噛み締めることになった。97年から多くの金融機関が倒産した。それは全て大量の不良債権を抱えた倒産であった。
"走る凶器"を作ってしまった三菱自動車の売上は急落している。この時期に三菱の車を買うには特別の理由と勇気が要る。三菱ふそうに到っては、事態はもっと深刻である。死亡事故の原因を作っていながら責任を転嫁した。これが同社への信頼を一気に失わせた。素直に非を認め対処策を講じるべきであった。リコール費用が成長圧迫原因になると近視眼的な判断をしたのだろうか。三菱の名前が付いていれば、何とかなると考えたのだろうか。
牛肉の産地を偽った雪印食品、鳥インフルエンザを隠して鶏肉を販売した浅田農産にも厳しい目が向けられている。人間の口に入るものを作っている食品業界は、ちょっとした事件で危機に直面する。最も厳しい業界である。
病院の不祥事も続いている。しかもこれが大手の病院で起きている。アメリカならば、とっくに倒産の危機に直面しているだろう。アメリカは日本と違って訴訟社会である。白髪の老教授が深々と頭を下げても問題は解決しない。即座に訴訟に発展する。ちょっとした誤診の疑いでも、そうでないことの証明を求められる。その厳しさと頻度は日本の比ではない。
今このアメリカで、企業の生存リスクを徹底的に見直そうとする動きが始まっている。新しいコーポレートガバナンス(企業統治)の動きである。企業改革法が引き金になっているのは言うまでもない。経営者が間違った方針を指示した場合、部下が表立って異を唱えるのは難しい。その点は、アメリカでも日本でも同じである。企業統治の責任を経営者だけでなく、一般社員にまで広げることで、経営者の暴走を阻止し企業の存続を図れないかと考えている。企業の存続ができれば株主の保護にもなる。
これまで会社ぐるみの隠蔽工作は内部告発によって発覚してきた。エンロン事件も内部告発によって発覚した。だが、内部告発者は"村八分"にされる事を覚悟せざるを得なかった。この事情は日本でもアメリカでも同じである。企業改革法では内部告発者が不利にならないような措置が必要であるとしている。
これを具体化する企業レベルでの提案がでてきている。その中には社員全員が普段の仕事の中で、自分のやっている仕事は本当に会社の長期的価値向上のために役立っているかを点検させてはどうかとしている。こうすることで一人の内部告発者に頼ることなく事件を未然に探知できるのではないかとしている。
あるコンサルティング会社の社長は、企業は先ず自社の"社則"を変更してこれを内外に明らかにするべきとしている。社員が日々の仕事の中で、自分のやっている仕事が企業の長期的存続と社会的貢献の観点から意味のある仕事か否かを判断させ、これを定期的に文書で報告させる。社員の昇進は、業績への貢献と共に、企業統治能力も加味して行なわれることを社則に明記する。こうすることで企業が一体となった統治を実現できるとしている。
三菱自動車の社員の中にはリコールの隠ぺい工作を指示されたときに、悩んだ従業員は多かったのではないだろうか。これではいけないと思いながらも、家族の顔が浮かんで良心を曲げて社命に従った社員は多かったはずである。こうした社則が制度として定着すれば、救われる社員が増えて来るように思う。
日本でも企業文化の刷新と活力を取り戻すために、新しい企業統治の方法論を検討する時期に来ているのではないだろうか。
カリフォルニア州メンロパーク市にて
安藤 茂彌
日経ネット・企業・コラム・海外VBトレンドに掲載(2004年7月12日)
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