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バックナンバー 今月のコラム
レイオフの人間的側面

日本でもレイオフと言う言葉が聞かれるようになった。だがその実態はどうなのだろうか。ここシリコンバレーでは、この数年間に数千人規模のレイオフが繰り返されてきた。最近各方面の方々からその実態を仄聞するようになった。会社の規模、企業文化によって若干の違いはあるものの、聞こえてくる話には、多くの共通点がある。

まず、会社の業績が急低下する見込みが報じられる。当然のことながら株価が大きく下がる。経営者は、株主に釈明するために何らかの手を打たざるを得なくなる。レイオフの規模が発表される。こうした雰囲気の中で、社内では、社員証の検閲、各方面のセキュリティが厳しくなる。社員は自然とレイオフの到来を肌で感じるようになる。

突然ある日、ある社員が部長室へ入るように言われる。「今まで会社に貢献してくれてありがとう。ところで、当社は今年度後半の修正経営計画を策定した。残念ながら君はその計画の中の予定人員には含まれていない。」たったこれだけの通知である。これがレイオフの申し渡しである。「所持品をまとめて二時間以内に当社ビルから出て行って欲しい」。

席に戻ったレイオフ対象者には、上司がついてくる。彼が再びコンピュータに座って、ログインすることは許されない。ただ単にログオフするだけである。レイオフの言い渡し後まもなく、社内のコンピュータにアクセスする権限が剥奪される。衆人の見守る中、無言で荷物をまとめる。周囲の人々の中には、別の職場でこれからの発展を祈る旨の惜別の言葉を寄せてくる人もいるが、それ以外の人々は無口で、あたりはシーンとしている。会社の玄関まで上司に見送られこの会社を後にする。孤独な旅立ちとなる。

何故会社側は、レイオフされた人がコンピュータに触ることに、ここまで神経質になるのだろうか。最近発表されたレポートによると、社内ネットワークへ攻撃を仕掛けてくるハッカーの7割は、内部者であると報告している。日本では考えられない高い数字である。そのうえ、内部者の犯行は、社内事情に通じているだけに、よく考えられた攻撃が多いと言う。実際に、レイオフされたある社員が、後日一定の条件が満たされるとプログラムが自動的に作動して、社内の重要なデータを悉く破壊してしまう仕掛けをして、会社に大損害を与えたことがある。

以前シリコンバレーでは、レイオフの日には銃を持った護衛が配置されたという。銃が簡単に手に入る米国では、自分のレイオフに納得がいかない場合に、銃を持って上司に発砲する人もいたという。銃を持った護衛の話は、最近ではほとんど聞かなくなった。翌日に奥さんが上司を訪ねて、夫のレイオフ撤回を嘆願することもなくなった。従業員が、レイオフに慣れてきたのである。もともと転職が活発な個人主義の国である。レイオフに慣れるのに時間はかからない。

米国では、企業は株主のものである。そこで働く従業員に支払われる賃金は変動費である。経営者は四半期ごとに業績責任を問われている。業績が上がらなければ株価は急降下し、株主が保有している価値は減ることになる。だから、企業の中で儲かっていない部門は、丸ごとレイオフされることになる。たとえ優秀な人材がいても配置転換は行なわれない。全体が儲かっていなければ、各部門割り当てでレイオフを行なう。これによって経費を引き下げ、利益計上可能な状態に転換するのである。

それにしても「何故自分がレイオフされなければならないのか。自分の貢献が少ないのではなく、経営者の経営手腕がないからではないのか。私の人間としての尊厳はどこにあるのか。」従業員としては、言いたい事は山ほどあろう。レイオフの理由が、会社側の事情でしか説明されないのも不可解であろう。個人に帰せられる理由は一切述べられない。会社側からすれば、これを争っては水掛け論になるのは目に見えている。だから、本人のみならず周りも、その理由を推測するしかない。

米国は日本と異なって、多くの人種によって構成される多民族国家である。多民族国家であるが故に、解雇理由の憶測も果てしなく広がる。経営者に白人が多い企業で、非白人がレイオフされた場合、昇進の限界を見せ付けられたように思う人がいてもおかしくない。衆目の一致する実力社員の女性がレイオフをされた場合にも、複雑な思いを持つ人がいてもおかしくない。

日本では、"人"は会社にとって"資産"であるという言い回しをよくする。勿論、その人に長期間に渡って賃金を払いつづけなければならないのは、負債であるし、退職金、厚生年金は間違いなく長期負債である。だが、"人"によって会社の価値の多くが生み出されているのも、事実である。人に関わる支払を、損益計算書と貸借対照表の両面から考える傾向が日本にはあるのに対し、米国では損益計算書でしか考えていないように思う。

日本では、人の採用を長期的に全社的な観点から行なう傾向があるが、米国では一般に、採用はそれぞれの部門長に任されており、足りなくなれば補充する傾向が強い。忙しくなると、自分達が5時に帰る為に安易に採用する。その結果、人員が膨れ、部門の業績が期待値に満たなくなると、レイオフをすることになる。時にはレイオフをやりすぎて、残った人々が死ぬほど超多忙になることもある。これを英語で「Karoshi」と呼ぶ。過労死である。

米国企業では、採用も安易ならば、解雇も安易であるように見える。レイオフをそのまま日本に持って来るとどうなるか。アメリカ流のレイオフが日本で導入されると、企業と従業員との関係を含む、企業文化は大きく変わるに違いない。それでよいのだろうか。日本の企業は、人を大切にする文化を育むことによって、大きな国際競争力を勝ち取ってきたのではないだろうか。

私は、NHKの「プロジェクトX」をよく見る。一時は、部門の全面撤退により不要となった人材を新規事業部門に投入し、幾多の困難を経ながら、いまではその企業の中核となる部門に育っていった奇跡に遭遇する。いったんは社内で捨てられた人材が、自分の存在価値を必死に示そうとする人間ドラマは、人々に深い感動を与える。日本の企業風土には、アメリカにはない、協働で企業を防衛する文化がある。

こうした離れ業は、アメリカの企業では出来ない。四半期ごとの収益で責任をとらされる米国経営者は、これほど長い投資懐妊期間に耐えられないのである。元を辿れば、米国の極端な株主資本主義に行き着く。その結果、米国経済は多くの"物作り産業"を失い、いま、景気が回復しても雇用が増えないジレンマに苦しんでいる。

日本が安易に米国流レイオフを真似するならば、今のアメリカより悲惨な事態が起ることは目に見えている。"物作り産業"こそ、日本経済の競争力の源泉なのだから。日本企業がレイオフを真似るのを見て喜ぶのは、アメリカ企業ではないだろうか。80年代に日本企業の強さを研究したアメリカが、文化の違いから真似しようにも真似できなかった経緯があるからだ。企業が同じ減量政策を取る場合でも、日本には独自の方法がなければならない。日本企業が"カタカナ"制度を採用するときには、より深い文化的、人間的考察が必要となる。


カリフォルニア州メンロパーク市にて
安藤 茂彌
日経ネット・ベンチャー・海外トレンドに掲載(2004年3月16日)

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