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歴史の記憶
イラクへの侵攻をめぐる国連と米国の攻防が続いている。ブッシュ大統領による1月21日の一般教書演説はイラクへの憎悪と不信を剥き出しにした恐ろしい内容だった。国民のテロへの恐怖心を煽り、その原因はすべてイラクにあると決め付けていた。演説の直後に、民主党のエドワード・ケネディ上院議員(故ケネディ大統領の兄)が、「議会はブッシュに与えた戦争遂行権限をもう一度見直すべきだ」と主張した。しかし、この発言は注目されずに終わり、逆に演説の前には43%だったブッシュの支持率は演説直後には67%に大きく跳ね上がった。
それから10日ほど後に、パウエル国務長官の国連での演説が追い討ちをかけた。人工衛星が捕らえたイラクの移動式生物兵器製造装置の写真、アメリカの諜報機関が傍受したイラク軍司令部の生物兵器隠匿の無線会話、イラク政権と深く結びついているアルカイダ幹部の実名列挙と、証拠材料を突きつけてのイラク攻撃の正当化演説はそれなりの説得性を持っていた。いままで武力行使に消極的であったパウエル国務長官がイラクへの単独攻撃方針に転じたことも、ブッシュ政権への国民の支持を高めるのに役立ったようだ。
アメリカ国民は本心でブッシュに信任を置いているのだろうか。シリコンバレーのアメリカ人の間でも最近はイラク侵攻の是非に関する話題が多い。息子を中東に送られされた家族が筆者の身近に出てきている。一方でサンフランシスコでの反戦デモも頻繁に開催されている。戦争は現実問題になっている。アメリカの単独戦争突入には反対する人でも、フセイン政権が保有している大量破壊兵器を何らのかの方法で廃棄させなければならないと言う点での認識は一致しているようだ。
米国のコントロールの効かない国が大量破壊兵器を持っていること自体が、アメリカに対する脅威である。それは世界にとって脅威であるはずだ。これを取り除くのが正義であり、世界平和の実現である。アメリカ人の多くはこう考えている。
アメリカは自由の国である。ふだんのアメリカ人は十人十色の考え方を持っている。しかし、米国の危機に臨んだときに見せる一体感の強さには驚かされる。ふだんは自由を尊重し、人種差別をなくそうと心がけるアメリカ人が、自国の危機に臨めば平気でそうしたアメリカの理念を放棄する。テロ被疑者が法的保護も受けずに無期限に拘束され、アラブ系米国市民が大挙してカナダに移住するのを見ても見ぬ振りをする。太平洋戦争勃発時にも多くのアメリカ人は同じように振舞ったのであろう。日系人が戦争勃発と同時に国内収容所に送られたのは同じような状況であったに違いない。
歴史を振り返ってみよう。アメリカの立場から見ると、現在の悪の枢軸は「イラン、イラク、北朝鮮」である。だが60年前には「日本、ドイツ、イタリア」であった。一昨年のテロ事件発生直後から筆者はCNNのテレビ報道に釘漬けになっていた。アメリカの報道機関は、「これは真珠湾奇襲攻撃以来のアメリカに対する戦争行為である」と繰り返し報じた。そしてブッシュ大統領はこのテロ事件をバネにアメリカ国民が結束するように呼びかけた。
筆者はある日CNNの意外な報道に遭遇した。小泉首相はテロとの戦いを表明したブッシュ政権にいち早く支持姿勢を鮮明にした。ホワイトハウスの報道官がこれを記者団に発表したときに、一部の記者から「日本が米国をこんな早く支持するのは何故か?日本との間に何らかの条約でもあるのか?」と質した。これに対して、報道官は「そういうものはないと思う」と回答した。これには驚いた。日本国内で当然と考えられている日米安全保障条約をホワイトハウスの報道官は知らなかったのである。
真珠湾への奇襲攻撃を昨日の出来事のように覚えているアメリカ人。それに対し、日本人の歴史観は短すぎるように思う。昭和20年の終戦に伴い、日本は今までの全体主義・侵略主義に決別して平和を誓う自由主義国に変身した。日本人の歴史観は、戦後とそれ以前とを明確に分け、それ以前の日本を「異質の日本」として忘却の彼方に追いやろうとしている。日本人は長崎・広島の原爆に象徴されるように米軍機の空爆で多くの一般市民が犠牲になった。日本はこうした犠牲によって過去の罪を償ったと考えている。しかし世界はそうは見ていない。日本の戦前と戦後を区別していない。戦前の日本も戦後の日本も同じ日本である。何しろまだ60年しか経っていないのだから。
それ以上に、いつまで経っても繰り返される教科書問題、首相の靖国神社参拝問題、慰安婦問題。アメリカはこの問題に頭を突っ込んできてはいないが、中国、韓国をはじめ多くのアジアの隣国が鋭く反応する。いつになったらこの呪縛から解放されるのであろうか。いつになったら隣国の脳裏から消えてくれるのだろうか。日本人として十数年を米国と香港で過ごした筆者にとって、日本人の見る日本像と外国人の見る日本像のギャップに常に悩まされてきた。
話をイラク侵攻に戻そう。米国とイラクの軍事力の差は歴然としている。第一次イラク戦争以降イラクの軍事力は弱ったままだが、アメリカの軍事力・軍事技術には益々磨きがかかった。両国の軍事力格差は一段と拡大している。アメリカが空爆を仕掛けたらあっという間にイラクは降伏するだろう。しかしこれは戦争であろうか。戦争とは力が拮抗している国同士の戦いなはずだ。この戦争は力の強いものが武力を乱用していると見るほうが当たっていないか。アメリカ人がいくら正義の戦争であると主張しても世界はそうは見ない。60年前に日本が大東亜共栄圏を主張しても世界はそう見なかったように。だからアメリカは伝家の宝刀を抜いてはならない。
どの国も自国に降りかった歴史的な出来事を選択しながら記憶にとどめている。国が不条理な暴力に屈服したと感じるときに記憶は長く留まるようである。その証拠にアメリカはいまだに真珠湾攻撃を鮮明に記憶にとどめている。 アジア諸国はいまだに日本の侵略行為を覚えている。今のアラブ諸国は、いやイスラム諸国は、他の多くの国が核兵器・化学兵器を持っているのになぜイスラム諸国が持つとアメリカは直ちに軍事力を行使するのかと強い不満と怒りをあらわにしている。
もしアメリカが伝家の宝刀を抜けば、イラク国民のみならずイスラム諸国民はこれを長く記憶にとどめるであろう。そしてこの不条理に対抗するための新たな聖戦を展開するだろう。そうなるとテロとの戦いは泥沼化し、暴力が日常茶飯事になる恐ろしい世界が到来するような気がする。歴史の記憶は心の奥深くに眠る。アメリカ自身が自らの心に眠る歴史の記憶を辿れば、この戦争の重大な過ちに気付くはずだ。いや、気付かなければならない。
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カリフォルニア州メンロパーク市にて
安藤 茂彌
日経ネット・ベンチャー・海外トレンドに掲載(2003年2月18日)
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